【当社発展の歴史】
南海高野線の前身は、社名を高野登山鉄道と称し、明治31年開業、起点は汐見橋停車場、終点は長野驛でした。
現在の初芝駅は西村駅と云い貨車が入っていました。当店は、西村駅前に本拠を構え、牛馬をつかい、河内平野に
肥料や燃料の配達、穀物・織物の集荷を行ってまいりました。1928年(昭3) 渋沢栄一は通運業の大合同を実施し
国際通運を起こしました。その際に取次店として任せられた看板が会社に残っています。爾来、百貨店や自動車の
普及により、当社の取り扱う商品も変わりましたが、地元では「丸高(まるたか)」の屋号で100年馴染んでいます。
【会社名】 丸高運送株式会社(まるたかうんそう)
【所在地】599-8111 大阪府堺市東区日置荘北町3丁15番38号
【創 業】大正4年
【代表者】森 末充(もり すえみつ)
【資本金】4,000万円
【事業内容】陸上貨物運送事業
経営の姿勢と信念としての【基本理念】
1.安値で競争しない。
2.儲けは苦労した人の順で分ける。
3.働き手を支えている家族にも配慮する。
最近ではエッセンシャルワーカーとか洒落た職業ジャンルで括られますが往時の運送は、力自慢の男たちの
自由奔放な職業選択肢の一つであったのだろうと思います。現在、対外的な公的プライド、社員に対する
会社の姿勢の誓いいわゆるブラック職場ではないという弊社の矜持として認証を持つようにしています。
基本の思いとして【経営姿勢】
生業の時代の労働力は、親類縁者の協力により成り立っていましたが家業の拡大につれて他生の縁ある人達が
集まり、会社となりました。地方の思いがけないところで「丸高か?」とお声がけいただいた時は、
小さな会社に勤める社員にとっては大きな驚きです。市井では一介の労働者にすぎませんが、
この会社に集う皆で、屋号の誇りを享受すればいいと思っています。
行動や態度についての自問としての【行動規範】
1.和と笑いがあるか
2.家族を大事にできているか
3.お客は喜んでいるか
4.また注文してもらえるか
5.つづけることはできるか
組織の在り方としての【経営目標】
1.つぶれない
2.愚直であること
3.安全な会社・頼りになる会社と認められていること
コロナ禍の経験は、本当に大事なものや今後の生き方を問う機会となりました。当社は経営計画に
〝地域とのつながり強化〟を含めました。手探りながら、地域の安全と安心を含む“ダイバーシティー経営を
目指します。
【会社定款の事業目的に下記を追加しました】
■総則第2項10条いじめ問題・ネット依存問題・不登校問題・ひきこもりに関する地域関係機関との
ネットワーク事業及び困窮者を対象とした社会適応事業並びに就労支援事業
「積善の家には必ず余慶有り 積不善の家には必ず余殃有り」
三連休の取れる職場
希望する年齢まで働く事ができる会社づくりを目指しています。